今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

ねじれた家


公開中の映画「ねじれた家」を観て、ポワロ以外にもクリスティーが読んでみたくなって、手に取った。


映画もまぁある意味淡々と恐ろしい犯罪の幕引きの様子を描き出していたが、原作はそれ以上に主人公の置いていかれた感が強い作品だった。


「ねじれた家」アガサ・クリスティー 著・田村隆一 訳(早川書房クリスティー文庫)


以下、感想。















映画の宣伝文句にクリスティー自身が最高傑作と言っている原作だとあった。


映画は恐ろしい犯罪の顛末を描き出す。その謎解きに登場した主人公が犯人に翻弄され、その彼がどちらかと言えば、どこにでも居そうなインパクトの薄い青年だったために、犯罪映画なのに、パンチの弱い(汗)印象だった。


真面目な海外ドラマによくあるパターン。では、この映画はその原作をどの程度料理した作品なのかと気になって手に取った次第。


登場人物は原作通り。ただし、主人公のチャールズとその恋人のソフィアの背景が少し違っている。映画では外交官を辞め、探偵になっているチャールズは原作では外交官のままだ。


外交官の彼がなぜ殺人事件の謎解きに奔走するかと言えば、彼の父親がロンドン警視庁の幹部であり、さらに事件が起きた現場が恋人のソフィアの家だったから。


映画は、ある事件をきっかけに外交官を辞め、探偵稼業に乗り出したチャールズの元にかつての恋人が捜査の依頼に来るのが事件介入のとっかかり。


映画で描かれたチャールズとソフィアの関係性の方が納得がいくというか…ソフィアの家に犯人探しに訪ねてくる合理性も、互いに反発し合いながら、事件の核心に迫る行も映画の方がしっくり来る。


微妙に独自の解釈を加えた映画の方が面白かったかな、私は。


ねじれた家に住むねじれた関係の家族たち。ねじれの原因と思われた殺された一家の大黒柱は、しかし、誰よりも人を見抜く目があったのだ。


世に出してはいけない素養を持つ者たちを自分の側に置き、絶えず目を光らせていた。そんな大黒柱の苦しい胸の内を何も知らない傍から見れば、それは溺愛に映った。


そんな人間模様を描くミステリー。ただの謎解きでなく、人の業のようなものをも活かす話の流れ。その点はさすがだと思った。


ただ、犯人の恐ろしさを深く書いてはいない。読む側がその恐ろしさを十分に理解できると考えてのことだろう。クリスティーのミステリーはその点が深いなぁ。ポワロしか読んだことないけど、読む側にも考えさせる。


最後の最後まで、犯人の仕掛けた罠に嵌って翻弄された主人公。こんな彼が苦悩するソフィアを救い出せるとは思わないけどなぁ…(汗)。


そして、この事件後、最愛の人との別れが彼を外交官という道から、探偵に…って話になって行きそうな感じだけど。この映画の導入部は小説の後日譚として2人が再び出会う…みたいな。でも、どっちも同じ事件(汗)。