今日も徒然、中洲日記

ほどほどに映画が好き。ほどほどに食べることが好き。日々気づいた事を綴ります。

夢見る帝国図書館


新型コロナウイルスはとうとう世界を舞台にし始めた。最初はアジアの一角で始まったその動き、人の動きと共にあっという間に多くの国、多くの人を呑み込んだ。


本来なら観たいと思っていた映画も何かあったら心配だし、まわりに迷惑をかけてしまうという思いが先に立ち、結局、観ずに終わっている(涙)。そして、人混みを避けて手にした時間は録画したまま溜め込んだドラマの一気見と読書に費やすことになった。


でも、意外に一気見に時間を取られ、読書はそれほど進まない(汗)。


「夢見る帝国図書館中島京子 著(文藝春秋)


以下、感想。。。















中島京子さんの著作は「小さいおうち」しか読んでないと思う。なんとも不思議な余韻を残す小説だった。女ばかりで暮らすことになった家の最終的な姿を見せることで、最後の最後に何を言いたかったのかを感じさせるような運びの小説だったように記憶している。


その後、映画化されたように思うが、その辺のクダリはどう描かれたんだろう。


さて、本作は、やはり不思議な色合いの不思議な小説だった。今どき、縁もゆかりも無い人たちと友情を育んでいく話なんて、やっぱり不思議だ。でも、今の時代、私達おばさん世代には理解出来ない形の縁もゆかりも無い繋がりを育んでいく若者たちもいる。よくテレビのニュースで見る若者は名も知らない友人とSNSを通じて繋がっている。形こそ違え、やはり自分の世界とは異なる人々との繋がりは今でもどこか魅力があるのだろう。ただし、そこで出会う人は必ずしも良い人とは限らない。そこが問題なのだろうけど…


たまたま公園で話しかけられたのが縁でその後に友情を育んでいくフリーライターの卵の主人公と母親ほど年の離れた女性。上野公園先にある子ども図書館がそもそもの発端だ。この図書館はかつて、日本が自らを「帝国」と呼んでいた時代、国を代表する「帝国図書館」だったのだ。


主人公と上野に住む喜和子さんとの付き合いは今どき考えられないアバウトなもので、電話の無い喜和子さんに会うためには直接家を訪ねるしかない。狭い路地の突き当たり、狭い間口の狭い長屋の一軒に住む喜和子さん。電話が無いだけでなく、クーラーも無い。狭い部屋に狭い台所。冷蔵庫を置く場所も無く、それは急な階段を上がった2階にある。だが、その2階にはなんと近くの藝大に通う学生さんが住んでいる。


面白すぎるおばあちゃんの日常。そのおばあちゃんは、とっても不思議な人だけど、人を見る目はある。


彼女の人生に大きく影響を与え続けた「図書館」。彼女はその図書館を主人公にお話を書こうと思っていた。でも、文才という才能に関して、そこだけは普通だった喜和子さん。誰かに書いてもらおうと彼女の「帝国図書館」に関する知識を伝えようと思っていたようだ。主人公はまさに喜和子さんの望む人だった。


こうして出会いながら、ライターとして世間の評価を得るようになった主人公はいつしか連絡をつけにくい喜和子さんと疎遠になっていく。年賀状のやり取りは続いていながら、それっきり。久方ぶりに上野に行く用事が出来た主人公は、これまでの無沙汰の後ろめたさを抱えながら、喜和子さんの小さいお家を訪ねた。


人はね、やっぱり会える時に会っておかないとダメなのよ。人の縁はね、自ら手繰り寄せないと簡単に切れちゃうの…


主人公はその場を何度も行きつ戻りつし、喜和子さんの長屋が更地になっていることを確認する。


ここからが、まぁ、小説なんだな。主人公は紆余曲折しながらも、しっかり喜和子さんと出会う。そして、喜和子さんの遠い記憶の中にぼんやりと残っていた「図書館」と「兄さん」の話を聞く。


喜和子さんの波乱万丈の一生が、主人公に知らされないまま幕を下ろした後から、この小説は俄然スピード感が増し、面白くなっていく。


戦争が図書館だけでなく、喜和子さんの人生にも大きく影を落としていた事を知る。全てが不確かな時代というか、生きていくために皆が必死だった時代、お金も無く、仕事も無く、それでも生きていかねばならず、なりふり構わぬ毎日。もう私達には想像するしか無いが、それは主人公も同じだ。主人公と同世代の私は同じ目線でこの小説を読むことが出来た。それはとても嬉しい偶然だった。


根底に流れるテーマは戦争と女性の解放かな……


主人公が出会った時のイキイキと自分を飾らず、思うままに生きる喜和子さんは、大きな人生の節目を自ら飛び越えた人だったのだ。


よく知る上野の風景が随所に登場するのも楽しかった。我が息子が小さい頃、上野の子ども図書館は新装して、随分とニュースに登場したのだが、直後に私が息子を連れて訪ねた時は、地元自治体の図書館とは比べ物にならないお上品で贅沢な作りの子ども用閲覧室に私と息子以外誰一人おらず、このままそっくり地元の図書館に引っ越してほしいと思ったのを覚えている。あの図書館の歴史の一端を知ることができたのも嬉しかった。


上野動物園の戦時中の悲しい歴史はもう二度とあってはならないこととして語り継がれているが、語り継ぐだけでなく、その決意を貫くことの大切さも忘れてはならないのだ。入口すぐのパンダ舎を通り越し、象舎に行くには売店を左手に折れるが、そのまま真っすぐ行くと右手にふくろう、左手にカワウソがいる場所に出る。その手前のちょっとした広場に正面入り口ではない立派な門扉がある。門の真ん前は都立美術館の建物のレンガの壁。ここが昔の正門だったと父親に聞いた記憶があるんだけど、どうなんだろう。なにしろ、私の父は博識ではあったが、その仕入先が場末の飲み屋という人だったので、ホントかどうかは怪しいものだが…(汗)


とにかく、読み終わって、ジワジワくる小説だ。