8/4に紀伊國屋サザンシアターで幕が上がったこまつ座の舞台「闇に咲く花」
この観劇の準備として、井上ひさしさんの原作戯曲を再び…
既に絶版のため、図書館で借り出し、借り出し期間を2回延長し、約1ヶ月半の間、2回読んだ
上演情報が公開され、松下洸平くんが出演すると聞いてすぐに1度読んだけど、今度はじっくりと、健太郎役を演じると公開された松下洸平くんを思い浮かべながら読もう…そう思ったのに、2度も借り出し期間を延長したのに1回しか読めなかった
健太郎に限らず、1つ1つの台詞に立ち止まり、なかなか進まない…なぜか。。。
じっくりと読めば、この戯曲、凄いことを健太郎に言わせてるのだ…それを感じてしまうから先に進まない
ロシアのウクライナ侵攻から1年半。情報化が進み世界がより近くなった現在、世界のどこかで紛争の火種は燻っていることを肌で感じ取れる。実際の戦闘の様子がニュースで度々流され、世界の食料庫と言われるウクライナの惨状を目の当たりにした。私たちの生活は大きく影響を受けている。世界的に食物流通が滞り、物価高騰の連鎖が私達の生活を直撃し、ウクライナ侵攻はどこか遠くの話ではないことを実感する
井上ひさしがこの戯曲で描いた頃と同じようなヒリヒリとした現実がすぐそこにある
そう感じてしまうから、健太郎の語る言葉は度々私を立ち止まらせる
戯曲の舞台となった頃、日本は第二次大戦の反省をそれぞれがそれぞれの暮らしの中で感じ取っていた…「反省」なんて言葉では言い表せないな…
ただ生きるための日々…生き残った人間の「使命」なんて高尚な発想なんか絶対になかったはず。生きていくしかないのだ。そんな日々の中に舞い戻ったお国のために死んだはずの健太郎。
彼は忘れてはいけないと言う。ただ忘れるなと言うんじゃない。忘れたふりをして、無かったことにするのはいけないと言う。
健太郎から浴びせられる言葉に胸を締め付けられる
結局、登場シーンの少ない健太郎が大きく取り上げられるのはなぜか?今や大人気俳優となった松下洸平がキャスティングされたからだけではない。
戦中の日本と言う国に、国家神道を旨とした軍部日本に、それに付き従ったすべての神社に、そして、それを受け容れてしまった、いや受け容れざるを得なかった市井の人々に真正面から痛烈な言葉を浴びせる
松下洸平くんはどれほどの覚悟でこの舞台に臨んだんだろう。健太郎の吐く言葉は核心をつくもので、その意味を理解しないで発することは出来ないはずだ。
その覚悟を1ヶ月半の公演期間に保ち続け、板の上に立つ…それを思うとページが進まなくなった…
それでも、借り出し期間を終えてもやはり、観劇前にちゃんと読んでおきたかったので、電子版で購入した。これなら、いつでも読める。自分が健太郎の言葉を受け容れる余裕が無い時は栞マークをつけてスマホを閉じれば良い…
電子版に変更したら、紙の本の時と比べてだいぶ抵抗がなくなった…紙の本の偉大さをあらためて感じた
8月の終盤に2度観劇する予定だった。その前に5回ほど読んだ。それでも、全てが頭に入ったわけではなかった
ただ、良い機会を貰ったと思った。当時の日本を、そこで生きた人々を、その日々を知ることができたから…